2013年03月04日
「私たちの人生はすべて行である」
「私たちの人生はすべて行である」
塩沼亮潤(慈眼寺住職)
『致知』2007年6月号
特集「切に生きる」より
────────────────────────────────────
行とは何かと考えた時、もちろん、
ある一定期間の厳しい修行をすることも行ですが、
「私たちの人生はすべて行である」
ということもできると思うんです。
我々は坐っている時(坐禅)は呼吸をとても大切にしますが、
人生すべてが行だとすると、お茶を飲んでいる時でも、
ご飯をつくっている時でも、その一呼吸一呼吸を大切にできるんです。
ですから最近は、一瞬一瞬を大切に真剣に生きていきたい
という方向に少しずつ変わってまいりました。
* * *
人間は雨を降らすこともできなければ、
風を吹かせることもできない。
与えられた環境の中で辛いこと、
苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、
それに共感しながら生きていくことが大切なのだと思いました。
また、若い時には人間はなんて不平等なんだと
思ったこともありました。
幸せな人もいれば、不幸せな人もいる。
そういう悩みを抱きながら山を歩いていた時、
目の前でタンポポの穂種が突風に吹かれて飛んでいったのです。
ああ、そうか! 山に落ちる種もあれば、
アスファルトに落ちる種もある。
水溜まりに落ちる種もあります。
人間もそうだ、タンポポと同じなんだなと思いました。
自分の生まれたところがどんな場所であっても、
いまいる場所がどんな環境であっても、
そこで精いっぱい花を咲かせることが人生なのですね。
与えられた環境の中で精いっぱい生かさせていただく。
そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、
一日何事もなかったら「ありがとうございました」と
感謝して生きることが大事だと感じました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうして・・・生きるのか・・・
死ぬという・・・結末があるのに。
不思議でならない。
だからこそ・・・やりたいことをやるのだろうか・・・。
塩沼亮潤(慈眼寺住職)
『致知』2007年6月号
特集「切に生きる」より
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行とは何かと考えた時、もちろん、
ある一定期間の厳しい修行をすることも行ですが、
「私たちの人生はすべて行である」
ということもできると思うんです。
我々は坐っている時(坐禅)は呼吸をとても大切にしますが、
人生すべてが行だとすると、お茶を飲んでいる時でも、
ご飯をつくっている時でも、その一呼吸一呼吸を大切にできるんです。
ですから最近は、一瞬一瞬を大切に真剣に生きていきたい
という方向に少しずつ変わってまいりました。
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人間は雨を降らすこともできなければ、
風を吹かせることもできない。
与えられた環境の中で辛いこと、
苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、
それに共感しながら生きていくことが大切なのだと思いました。
また、若い時には人間はなんて不平等なんだと
思ったこともありました。
幸せな人もいれば、不幸せな人もいる。
そういう悩みを抱きながら山を歩いていた時、
目の前でタンポポの穂種が突風に吹かれて飛んでいったのです。
ああ、そうか! 山に落ちる種もあれば、
アスファルトに落ちる種もある。
水溜まりに落ちる種もあります。
人間もそうだ、タンポポと同じなんだなと思いました。
自分の生まれたところがどんな場所であっても、
いまいる場所がどんな環境であっても、
そこで精いっぱい花を咲かせることが人生なのですね。
与えられた環境の中で精いっぱい生かさせていただく。
そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、
一日何事もなかったら「ありがとうございました」と
感謝して生きることが大事だと感じました。
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どうして・・・生きるのか・・・
死ぬという・・・結末があるのに。
不思議でならない。
だからこそ・・・やりたいことをやるのだろうか・・・。
Posted by 未来 at 21:21│Comments(0)