2012年05月03日
菩薩道
【慈悲の菩薩】
私は子供の時からお地蔵さんが好きであった。
年をとった今日でも旅の途次(とじ)、ふと地蔵像を見かけると、
足を停(と)めて拝(おが)む。
地蔵さんは釈迦仏(しゃかぶつ)没して、
彌勒(みろく)仏のまだ世に出でたまわぬ
所謂(いわゆる)無仏時代に現れて、
千体地蔵といわれるように、様々の形を取って、
罪苦(ざいく)になやむ衆生(しゅじょう)を
済(すく)わんと努力する慈悲の菩薩(ぼさつ)である。
一王は発願(ほつがん)して
早く成仏(じょうぶつ)せんことを望んだが、
一王は発願して永く罪苦の衆生を救いたく、
その為には自分が成仏できなくともよいとした、
所謂悲願に徹したのが即(すなわ)ち地蔵菩薩である。
地蔵さんほど衆生に親しまれているものはない。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
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菩薩道をあゆむ
私は子供の時からお地蔵さんが好きであった。
年をとった今日でも旅の途次(とじ)、ふと地蔵像を見かけると、
足を停(と)めて拝(おが)む。
地蔵さんは釈迦仏(しゃかぶつ)没して、
彌勒(みろく)仏のまだ世に出でたまわぬ
所謂(いわゆる)無仏時代に現れて、
千体地蔵といわれるように、様々の形を取って、
罪苦(ざいく)になやむ衆生(しゅじょう)を
済(すく)わんと努力する慈悲の菩薩(ぼさつ)である。
一王は発願(ほつがん)して
早く成仏(じょうぶつ)せんことを望んだが、
一王は発願して永く罪苦の衆生を救いたく、
その為には自分が成仏できなくともよいとした、
所謂悲願に徹したのが即(すなわ)ち地蔵菩薩である。
地蔵さんほど衆生に親しまれているものはない。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
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菩薩道をあゆむ
Posted by 未来 at
21:21
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